【PPL対談シリーズ⑥】参議院議員 横沢たかのりさん

今回の対談は、参議院議員(岩手県選挙区)横沢たかのりさんです。プロバイクレーサー時代に事故に遭遇。初のパラリンピアン出身国会議員となった横沢さん。日本の障害者政策について、心のバリアフリー化、地方のバリアフリー化の重要性を訴えます。

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大塚:約1年ぶりの公共政策研究所PPLの今日は動画撮影です。同僚議員の横沢高徳さんにおいでいただきました。今日はどうもありがとうございます。

横沢:ありがとうございます。

大塚:ご本人は元オートバイのレーサーということで、事故に遭われたということですね。

横沢:そうですね。25歳までオートバイレーサーをやっていました。

大塚:プロ、ですよね。

横沢:そうですね。そこで怪我をして25歳からは車椅子の生活ということです。

大塚:なるほど、車椅子生活になられた直後から、今度はパラリンピアになる道を歩まれた訳ですけれども、怪我されてすぐ、またスポーツをやってみようという気になられたのですか。

横沢:いやー、やっぱり夢と目標を見失った自分はとても生きる力が湧いて来なかったのですが、そこで人って希望を持つことだったり、夢を持つこと、そして挑戦することが人としての生きる力になるということが、私は怪我を通して気づかされたので、じゃあ、次はバイクは乗れないけれども、乗り物変えて、次はスキーでチャレンジしようと。

大塚:なるほど。いや、今の言葉は重いですね。挑戦すること、何かやりたいこととか、好きなことにチャレンジしないと、何か生きている実感がね、ないですもんね。

横沢:そうですね、チャレンジするってことは人を成長させてくれますし、いろんな感動もありますし。時には挫折を味わったり、もうそれが人生の醍醐味なんじゃないかな。

大塚:そうですね、我々も僕も政治活動20年目に入っちゃうのですけれどもね、やっぱり日本に欠けているのは全ての人が居場所と出番がある社会、これが日本がよその国と比べるとちょっと弱いところかなということで、全ての人が何かチャレンジするものを持って、その出番がどんな環境の中で得られるか、それはわかりませんけれども、それをできるだけ提供していけるような日本にしていきたいなと活動していますけれども、そういう意味ではそれを体現していらっしゃる。

横沢:そうですね、大塚さんの言うとおりです。

大塚:それでパラリンピアになられて、パラリンピックはいつのパラリンピックにお出になったのですか。

横沢:2010年のバンクーバーパラリンピックに出場しました。

大塚:そういう意味では初のパラリンピア国会議員ということですよね。

横沢:そうですね、今まではオリンピック選手はいましたから。

大塚:そうですよね、何人かいらっしゃるけど。

横沢:パラリンピア初、そして車椅子議員は八代英太さんから数えると19年ぶり。車椅子議員の誕生ということで国会に送っていただきました。

大塚:いや、心強い仲間が来ていただいたので、是非頑張っていただきたいのですが、実際に車椅子をお使いになっているお立場で、どうですか、日本の社会というのはどんな点が課題だというふうにお感じになっていますか。

横沢:そうですね、自分は25歳までは健常者で、健常者目線で生きてきて、それから車椅子になって車椅子目線、両方の視点から社会を見ることができて、1つの人生で2度美味しい人生を送らせていただいているのですが、やっぱり、いざ車椅子になったときは希望が持てました、実は。車椅子でもスロープが付いているし、トイレもあるし、新幹線にも乗れるし。あぁ、これは人生の先輩達がこういう社会を築いてきてくれたおかげなのだと、すごく希望が持てました。

大塚:なるほど、なるほど。

横沢:でも20年経つのですが、その中でやっぱりまだまだ足りないところがありまして、そこは改善していかなきゃいけないなと思っています。こういう自分の人生経験が社会の役に立つのであれば、思い切って国会議員に挑戦してみようかなと思ったのが、昨年の参議院選挙です。

大塚:なるほど。いや-、でも当事者が関わっていただかないと、なかなか政治というか政策っていうのは変わっていかないところがありますからね。実は、僕も1回だけ車椅子生活を数日間送ったことがありましてね。でもね、よーくわかりました。というのは今から5年くらい前ですけれども、蜂窩織炎という足が腫れる病気になって、ところが翌日からドイツに行かなきゃいけないっていうので、車椅子に乗って羽田空港、それから最後ミュンヘンまでは車椅子だったんですけれど、羽田で車椅子でこう自分が動いていると、非常に優しくしてくれる方と、こう言っては何ですが、少し邪魔だなって言う目線で見られる方といてですね、あぁ、車椅子の立場になってみると、周りの人の受け止め方の違いがよく分かるという感じがしたのですけれど、そういう日本の社会の国民の意識ってどんな感じですか。

横沢:そうですね、自分はスポーツを通して海外に遠征も経験させていただいて、基本的に人間的にはみなさん優しい、やはり日本の障害者政策というのはどうしても学校も特別支援も普通の学校もそして施設もバラバラという政策で今まで来た、そういう影響がまだまだみなさんの意識の中に障害者は特別なものというのが残っているのかなというのは感じています。

大塚:そうですね、だから僕は実は羽田で感じた雰囲気とミュンヘンで感じた雰囲気が全然違ったんですよ。

横沢:そうなんですよね、海外に行くと普通なんですよね、全てが普通、当たり前のように。

大塚:おっしゃるとおり。わずか数日間だったのですけれど、本当によく分かってですね。そういう意味ではインフラ的にも是正しなければいけない点もありますが、インフラを100%完備するっていうのは難しいところもあるので、どちらかというと国民や社会全体がバリアフリーなカルチャーを持てるかどうかっていうことですよね。

横沢:そうですね。それが一番、ポイントになると思います。今、言われたように、アクセスは基本的人権だと思いますし、今回コロナウイルス感染症の影響で外出できずにいる健常者の方々もいますけれど、いかに外に出ること、そしてアクセスできることが人間にとって大事なことかということが多分みなさん、感じられたんじゃないでしょうか。

大塚:そうですよね。おまけに今回のコロナに関して言うと、感染された方やその周辺の方に対するいろんな偏見とか、いろんな問題も起きていますけれども、ちょっと日本の社会というのはそういう点で弱いところがまだありますね。

横沢:そうですね。これから次の世代のために何ができるのかな、というのが課題だと思います。

大塚:国会活動の中で、どういう点を是正したり、どういう法律や制度を作るとブレイクスルーになるのかというのは、感じていらっしゃるのはありますか。

横沢:障害になったこと自体は不幸ではないと思うんです。ただ社会的障壁があることが不幸であって、そもそもこどもからお父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも、障害のある人もない人も、全ての人が分け隔て無く社会参加できるような社会を作らなければならないと思います。そのためにはまず、日本の場合は原点として、こどもの時から共に学び、そして共に遊び、共にスポーツや文化を楽しむそういう共生社会を、こどもの時から作る必要があるのではないかと。それが一番の教育で、そういうこどもたちが育って社会に出たときに、普通にバリアのない建物が設計できて造れるようになって、制度も普通に、自分の仲間に障害を持った人がいれば、制度も自然にできていくようになるのじゃないかと。

大塚:そうですね。わざわざそのことを考えるんじゃなくて、当然考えの中に入っているということですよね。

横沢:そうです。ユニバーサル、大塚さんが海外に行かれて感じた普通、普通だという・・。

大塚:ビックリですよね。そういう意味では障害政策の観点でも、今ご指摘のような点があるし、外国人との共生というのも似たところがあって、愛知県は例えば自動車産業のエリアでは、小学校の新入生50人中40人以上が外国人というところが出てきていましてね。そうじゃなくてもだいぶ増えてきているんですけれども、こどもの頃から付き合っていると、外国人がいるのが普通っていうことですよね。それと同じで、常に障害をお持ちのみなさんとバリアフリーな育ち方をすると、結局大人になっていい社会になっていくということですよね。

横沢:だから基本的なインクルーシブ教育って政治用語では言うんですけれど、共に小さいときから学ぶ環境をまず整えることが、一番大事なのではないかなと。

大塚:まず、国会の中でのバリアフリーになることが、まず我々ができることなんですけれども、実際にこの半年、活動されてみてどうですか、国会の中は。

横沢:国会の中は何不自由なく活動できています。

大塚:あ、そうですか。

横沢:ただ一つ、これまでまだ誰にも、報道でも言っていないのですが、一番のバリアは国会の中のあの厚い赤い絨毯。

大塚:あぁ。

横沢:すごい重たいんですよ、車椅子を押すのに。あれが一番、赤い絨毯。

大塚:車輪が回りにくい?

横沢:はい、回りにくくて。この重さは国会の重みなんだなと。

大塚:赤い絨毯じゃなくて、何かちょっと違うものにしてもいいかも知れませんね。

横沢:幅をちょっとこう、端の方を車椅子で通れるように、ユニバーサルに。

大塚:あぁ、なるほど。海外の国会とか、どうなっているんですかね。

横沢:僕、議員なので、海外の障害のある議員さんとも交流したいと思っていまして、機会があったらアメリカにも行ってみたい、ワシントンに行ってみたいです。

大塚:あぁ、是非是非。

横沢:世界の障害を持っている議員さんたちと交流を持ったり。障害者、日本の場合は約7%、人口の約7%の方が障害者手帳を持っていらして、議員の数もまだまだ、地方議員、県議とかももっと増えていいと思います。

大塚:おっしゃる通りですよね。誰だっていつ何時そうなるかもわからない。だからバリアフリーな社会にしておかなきゃいけない。

横沢:いつ、誰が障害を持つかわからない、持つ可能性がありますし、高齢化3割、約3割の高齢化ですし、ある意味セーフティネットって言うんですか、政治の役割だと思いますね。

大塚:なるほど。さて、日本の障害者政策、まずはここを何とかしろっていうご提言がもしあれば。

横沢:先ほど言ったように、インクルーシブ教育をまず、真っ先にじゃないですか。あとは地方、地方がバリアフリーがどうしても遅れていますよね。人間のからだで言ったら地方は末梢神経というか、手の先、足の先、そこの血流が良くなって初めて全身状態が良くなる。

大塚:なるほど。

横沢:地方のバリアフリーを進めてどんどん血流を良くして、日本全体が元気になる。そしてどんな立場の人でも、チャレンジできる。チャレンジしてこそ成長がある、そしてひとりひとりがチャレンジして成長すれば、日本全体、国が成長していくと思うんですね。そういったチャレンジできる、そのためにはまだまだ社会的バリアが残っている所のバリアフリーと、先ほど言われたユニバーサルな考えで新しいものを作っていくという、両面からが必要ではないかなと思います。

大塚:今日、横沢さんからいただいたお話をまとめると、「国民の意識をユニバーサルに、地方のバリアフリーを進めよう」。こんな感じでいかがでしょうか。

横沢:はい、ありがとうございます。

大塚:これから国も地方も自治体議員のみなさんも一緒になって、「国民の意識をユニバーサルに、地方のバリアフリーを進めよう」、ということでPPLとしても推進していきたいと思います。横沢さん、今日はどうもありがとうございました。

横沢:ありがとうございました。

(了)